其の肆. 推しが【日本舞踊】の番組を作りました。~名古屋西川流って?③
70年余りの生涯の中で、約3000曲もの作品を手掛けてきた二世・二代目 西川鯉三郎さん。その大きな大きな役目を引き継いだのは、鯉三郎さんのご長男、西川右近さんでした‥
名古屋西川流三世家元・ 西川 右近
1939年6月4日に、二世・二代目 西川鯉三郎さんと司津さんとの間に生まれた、西川右近(本名:近藤雅彦)さんは、3歳で初舞台を踏み、17歳で名古屋西川流名取 となられました。
高校を中退後は、藤間勘祖 (2世)さんに師事され、技術の研鑽をされたそうです。(※因みに、藤間流は西川流宗家と同じころに誕生した日本舞踊五代流派の一つです。)
藤間勘祖 (2世)さん(西川右近blogより)
名古屋西川流の流派を大きく育てた二代目 西川鯉三郎さん没後、跡を継いだ右近さん。
そのプレッシャーはさぞや大きいものだったことと、想像に難くありません。
ですが右近さんはそんな重圧を見事に押しのけ、若くして多くの作舞を手掛けられたそうです。
そして、日本舞踊のみならず東宝歌舞伎出演をはじめ、テレビ、ラジオなどに企画・出演。また文章を書くこともお得意だったそうで、新聞などにも執筆するという多才ぶりを発揮されました。
その他、多くの芸能人のステージング、振付も行なわれたそうで、二代目 鯉三郎さんの頃から親交のあった長谷川一夫さんをはじめ、浅香光代さん、山田五十鈴さん、山本富士子さん、林与一さん、美空ひばりさんとも親交があったそうです。
また若いころはアングラ演劇にはまり、劇作家 福田善之さん、俳優 平幹二朗さんとの舞台やゴーリキー作の人形劇に出演されたことも。そして、名古屋の俳優さんとの演劇活動にも尽力されたそうです。
「名古屋をどり」と海外公演
第34回「名古屋をどり」(西川右近blogより)
1981年の第34回公演から、二代目 鯉三郎さんが始められた「名古屋をどり」を継承。この公演は、二代目 鯉三郎さんにとっては最後の出演となりました。
その後、この「名古屋をどり」は2度にわたりアメリカでも公演を実現するという快挙を達成。1ヶ月近くという、一流派では異例の大規模な公演だったそうです。
第二回目の海外公演の模様(西川右近blogより)
また1985年にはモナコ公国のキャロライン王女主催の舞踏会に招かれ公演。
そして、西川流は、全国規模、名取数約5000人を誇る大団体に成長しました。
気づけば、二代目 鯉三郎さん以上の曲を振付け、本を出版。日舞の所作にスポーツ科学を取り入れたエクササイズ「NOSS(ノス)」を中京大学スポーツ科学部・湯浅景元教授と開発するなど、右近さんは誰も考え付かなかったものを生み出されていきました。
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次世代へ
平成26年、右近さんは、ご長男の西川 千雅(かずまさ)さんに家元を継承。
ご自身は新たに「総師(そうし)」という役職を担い、さらに日本舞踊を進化させることに尽力されました。
「生きている間に家元を継承できて良かった」と語っていらしたという右近さんは、四世 西川千雅さんのご活躍を見守りながら、2020年12月12日に静かに息を引きとられました。
「鏡獅子」(西川右近blogより)
※④へ続く
参考文献・関連情報
■西川流公式サイト
■西川流 家元補佐・西川陽子公式サイト
■西川右近blog
■東京新聞/目指すは西川流ホールディングス 右近総師亡きあとに 四世家元・千雅に聞く
■中日スポーツ 東京中日スポーツ/亡くなった『西川流・総師』西川右近さん、美空ひばりさんを姉と慕い…自宅を行き来する関係だった
■和樂/伝統芸能の革命児!『舞踊の大衆化』をテーマに進化を続ける西川流四世家元に直撃インタビュー
■NOSS – 所作と心を美しく磨く、和のエクササイズInstagram
■二世・西川鯉三郎Wikipedia
■名古屋をどりWikipedia
■西川右近Wikipedia