其の肆. 推しが【日本舞踊】の番組を作りました。~名古屋西川流って?④
こんにちは!いよいよ今年の『名古屋をどり』の詳細が発表されましたね~🎉昨年のメンバーさんに加え、新たなゲストの方もご出演されて、ますます華やかさを増した感じです。西川流の公式サイトではいち早くチケットの発売が始まって、早々に申し込み完了。会場となる岡谷鋼機名古屋公会堂って実はまだ行ったことがなくて、、、💦どこの席になるか、ちょっとドキドキしています💕←と、言ってたらチケット来て、めちゃめちゃ良席で小躍りしています♪♪
目次
名古屋西川流四世家元・ 西川 千雅
二世・二代目家元 西川鯉三郎さん、三世家元 西川右近さんと、
二代にわたって、日本舞踊、名古屋西川流の名を大きく広げ、様々なカタチに進化させてきたお二人の跡を継いだのは、四世、現・家元 西川千雅(にしかわ かずまさ)さん。
千雅さんは、1969年に、西川右近さんのご長男としてこの世に生を受けました。
2歳の頃にはもう、遊びの一環ではあるものの踊っていらしたそうで、初舞台は5歳。
なんと、あの名プロデュサー石井ふく子さんが演出された『名古屋をどり』の中の舞踊劇だったそうです。
本格的に日本舞踊のお稽古を始めたのは6歳。
祖父であり、当時の家元だった、二世・二代目 西川鯉三郎さんがお稽古をつけて下さったそうです。
余談ではありますが、この時、千雅さんがお稽古を受けられた曲は日舞としては短い端唄(はうた)と呼ばれる「五万石」。元々は船頭さんの舟歌から来ているという一説があり、テンポ良い、楽しい曲です。
🔸端唄『五万石』
五萬石でも岡崎さまはアーヨイコノシャンセ
お城下まで船がつくションガイナ
ヤレコノ船が着く
お城下まで船が着くションガイナ
ヨーイヨーイヨイコノシャンセ
マダマダハヤソ(囃そ)
歌詞の中にある、"岡崎さま"とは岡崎城主のこと。
当時、五万石という小藩だったにも関わらず、天守閣を持つことを許され、城下まで船が着くということが町民の自慢だったことが歌われています。
プロの世界で名声を挙げている大人たちに囲まれていたこと、父・右近さんが海外公演をきっかけにアメリカナイズされ、生活スタイルも洋式だったこともあり、日本の幼稚園になかなか馴染めなかったという千雅さん。
転園もしてみたけれど、結果的にインターナショナルスクールに通うことになったそうです。
日本の学校のように「整列!前へならえ!」もない、私服OKで夏休みも3か月もある。
けれど、家に帰れば厳しいお稽古が待っていて、何時間も正座して‥と180度違う世界。。
「自分の人生は自分で決める」というアメリカ式と、「家を継がなくては」という日本式の考え方のはざ間で、千雅さんは悶々と悩まれた時期もあったようです。
そのまま高校までアメリカンスクールに通い、その傍ら日舞のお稽古を重ね、15歳で名取となった千雅さん。
けれど、どうしても、そのまま舞踊家になり、家を継ぐ未来を受け入れられなかったといいます。
幼い頃から絵を描くことが好きで、千雅さんには秘かに【漫画家になりたい】という夢があったこと。
多感な時期に、日舞をやっていることを、友だちにからかわれたこと。
その日舞のお稽古は半端じゃない厳しさだったこと。
そしてなんと言っても、【自分の人生は自分で決める】という精神の中で過ごしてきたこと…。
千雅さんは、ついに、父・右近さんに「家を継ぎたくない」と宣言。
そして、「絵の勉強がしたい」と告げます。
それを受けた、父・右近さんの決断が素晴らしい。
さぞや様々な思いがあったと推察されますが、千雅さんの気持ちを汲んだ右近さんは、千雅さんにニューヨークに留学することを勧められたそうです。
そして、ニューヨークの美大でグラフィックデザイナーの勉強をし、その後は現代アートも学んだ千雅さん。
この時の学びが、後の千雅さんの活躍を大きく広げる下地となったのです。
けれど、アメリカにも自由はなかった・・
喜び勇んで渡ったニューヨーク。
けれど、千雅さんはすぐに、この国にも色んな差別があり、価値観の違いもあって、当然、日本人だからという差別も受けます。
そして何よりも"日本"という国の小ささを痛感します。
ここでは、日本で何が起ころうと、誰も気にしないし、誰も話題にもしない‥。
その反面、アメリカ人が日本の「禅」や「侍」の生き方に強い関心を持っていたり、「浮世絵」や「能」が後世の芸術家やアーティストたちに影響を与えたり、黒澤明や小津安二郎の映画を授業で学ぶなど、日本の文化が大きな力を持っていることを知ります。
さらに学校では、絵画の技術よりも、【自分の作品の価値や意図を適切に説明すること】の大切さを叩きこまれます。
真の「自由」とは、、
自分が担おうとしている「日本舞踊」とは、、
千雅さんにとって、この留学の経験は、自分を取り巻く環境について学ぶ、貴重な時間となったようです。
そして、帰国。待っていたのは・・
父・右近さんの強烈なハグ。
2021年8月に発刊された東京新聞に書かれたその時の、
「もう離さないぞ。」という右近さんの言葉に胸を打たれました。
けれど、当の千雅さんにとっては重荷というか‥
その右近さんの思いを、素直に受け止める胸中ではなかったようです。
「日本舞踊」の素晴らしさを知りながらも、それを「家元」という立場で継承していくことには抵抗があり、早々に始まった右近さんの『名古屋をどり』のお稽古はとてつもなく厳しく、ますます日本舞踊から離れたい気持ちに拍車をかけました。
(ああ‥ここを書いていたら、お正月の『西川流初舞』で家元が舞われた舞と唄が浮かんできました‥😌💭)
けれど、今度は日本舞踊の神様が、千雅さんの手を離さなかったのです。
その年の『名古屋をどり』の舞台稽古直後に、右近さんが心臓発作で倒れ、入院。
古典と新作舞踊劇の二部構成だった舞台の、古典部分を故・西川長寿さんや菊次郎さんが、新作舞踊劇部分を千雅さんが代役を務めることになったのです。
そこから、代役、代役で全国を回ることになり、否が応でも「日本舞踊」と向き合う日々が始まったのです。
その後10年ほどは修行を積みながら古典のことをがっつり学び‥
右近さんの運転手や秘書を務めながら、家元としての役割や思いも学んだ…。
その傍ら、タウン誌に寄稿したり、名古屋能楽堂でアートパフォーマンスをすることもあったけれど、日々の真ん中には、常に「日本舞踊」がありました。
👘固定概念を覆した『にっぽんど真ん中祭り』
1999年に学生たちが中心になり開催された『にっぽんど真ん中祭り』。
踊りで感動が伝えられる祭りを名古屋でもつくりたい!
感動を名古屋から発信したい!という学生の想いから、この祭りは始まりました。
コンセプトは「観客動員ゼロ!=全員参加型」と「市民が創る祭り」―
このお祭りは今でも続いており、今年2024年で26回目。
年々参加人数は増え、コロナ禍もスタイルを変えながら開催され、ますます進化するどまつり。
1回目は26チームだった参加者も昨年2023年には国内外、オンライン参加を含め473チームが出場するという、日本を代表するお祭りのひとつとなっています。
千雅さんはこのお祭りの第1回目から関り、ここで「一般大衆」のチカラの大きさ、情熱を知ることとなります。
にっぽんど真ん中まつり出演チーム「鳴海商工会猩々」
👘新しい『日本舞踊』の文化を育てたい
元々『日本舞踊』は大衆の中で人気を博し、現代に受け継がれてきました。
けれど、だんだんとその世界は狭くなり、知識がなければ楽しめない世界になった‥。
そして詳しい人が語るこの世界は、更に難しくなり、ますます一般大衆の足を遠のかせる悪循環を生み出しました。
常に迷いの中で向き合ってきた日本舞踊。
千雅さんは、再び、岐路に立たされます。
日本舞踊を舞う上で肝となる腰を痛め、1カ月半の入院を強いられたのです。
ですがここでも、日本舞踊の神様は、千雅さんの手を絶対に離そうとしなかったのです。
腰を痛める直前に、狂言の野村又三郎さんの声がけで愛知万博開会式に出演。
その縁で又三郎さんのミュージカルに誘われ、声楽やダンスを始めます。
やがてこの経験は自身がやってきた『名古屋をどり』とリンクしていきます。
と、同時に‥
本当の意味で自分の踊りと向き合うきっかけになり、その踊りに力強さが生まれたのです。
この後も積極的に外部の舞台やドラマに出演。
英語によるシェイクスピア劇A Midsummer Night’s Dream(Nameless Theatre)。ジャズ歌手プリスカ・モロツィらと出演、歌も披露。
『にっぽんど真ん中祭り』の他、愛知県観光PR団体『あいち戦国姫隊」、岡崎市PR武将隊、名古屋市事業『やっとかめ文化祭』などもプロデュース。
PRINCESS SAMURAI of JAPANあいち戦国姫隊
2014年には右近さんは総帥に、千雅さんは、名古屋西川流 四世家元を継承します。
2016年には国民文化祭あいちを総合プロデュース。
2017年には飯倉公館にて行われた外務大臣夫人主宰による、世界の大使夫人へのワークショップを開催。
飯倉公館にて行われた外務大臣夫人主宰による、世界の大使夫人へのワークショップ
2019年には天皇陛下初の地方公務全国植樹祭あいち、料亭河文にて行われたG20外相会議文化事業にて舞踊を披露するなどさらに躍進は続きます。
料亭河文で行われたG20世界外相会議文化行事
その他、右近さんが手掛けられた日本舞踊をつかった健康体操NOSS(ノス)の普及、2019年には藤田医科大学・医療科学科修士を取得。
日舞エクササイズNOSS
また、名古屋外国語大学客員教授や愛知淑徳大学非常勤講師も務められました。
分野を問わないことも、老若男女を問わず関わることも、すべては西川流が掲げてきた「舞踊の大衆化」の実現のため。
千雅さんのその行動からは、【伝統文化は風俗、俗世の中で伝えられていくもの】という現実から絶対に目を逸らさない、という強い覚悟を感じました。
参考文献・関連情報
■和樂/伝統芸能の革命児!『舞踊の大衆化』をテーマに進化を続ける西川流四世家元に直撃インタビュー
■東京新聞/日本舞踊 西川流家元 西川千雅さん アメリカナイズされた父の強烈なハグ「もう離さないぞ」
■東京新聞/目指すは西川流ホールディングス 右近総師亡きあとに 四世家元・千雅に聞く