名古屋をどり/2024NEO舞踊劇「名古屋ハイカラ華劇團」に纏わるお話し②
二代目・西川鯉三郎さんのお話しを中日新聞社の記者の方が纏められた『鯉三郎百話』は、語り口調で綴られ、とても面白く、惹きつけられるものでした。。😌💭
鯉三郎さんが何度も語ったこと
現家元・西川千雅さんのお姉様、西川陽子さんもnoteに綴られた、鯉三郎さん達の【慰問活動】についてのお話しはやはり辛く、胸を打つものがあります。
鯉三郎さんから何度も語られたというそのエピソードは、どんな時にも鯉三郎さんの心を燃やし続けたのではないかと感じました。
出征する前日、鯉三郎さん達に向かって、必死に伸ばされたその手の方たちの心中…。
今を生きる私たちには、想像すら及ばない思いがあったと推察することしかできません。
ですが、幾度となく危険な時間を越えてきた鯉三郎さんにとっては、察して余りあるものがあったのではないでしょうか。。
3つの柱
「名古屋をどり」を手掛ける上で、常に鯉三郎さんが大切にしたこと。
・「踊りの大衆化」
・「文学性」
・「古典」
現状、「日本舞踊」を身近に感じている人は少ない。
披露される場所や機会そのものも少なくなっていると感じます。
鯉三郎さんが生きた時代は、もう少し「日本舞踊」は身近だったんじゃないかと‥。(ただし、広く一般大衆向けだったかと問われれば、疑問が残りそうですが・・)
そんな時代から【大衆に好かれることの大切さ】を一心に見つめていた鯉三郎さん。
その思いは、三代目・西川右近さん、現家元・千雅さんにも色濃く受け継がれていると感じます。
そして2つ目の、【文学性】。
これは正直、私には解釈が難しい‥。
果たして【物語】があると、人の心に届きやすい、という解釈だけで良いのか‥。
(鯉三郎さんはもっと深い領域のことを仰っていらっしゃるのではないかと‥)
「鯉三郎百話」の中で鯉三郎さんは、「大衆性を追求するだけではダメで、常に踊りを文学の中に入れて向上していくのも必要なのではないでしょうか。」或いは、「夫婦愛とか友情とか恋愛を通して、私は涙がこぼれるものを作りたいのです。」と、語っていらっしゃいます。
だからこそ【舞踊劇】にこだわり、数多くの"作家"さんに書いてもらうこと、そして、通常は踊りの師匠が手掛ける演出も、あえて外部の舞台演出家を招き入れました。
そして、3つ目は『古典』。
歌舞伎でも、落語でも、新作と古典があって、これは、どの伝統芸能でも大切にされている柱のひとつだと思います。
鯉三郎さんにとっても同じで、こんなお話しが綴られていました。
第3回名古屋をどりで、古典の代表作ともいえる『山姥』を披露。今作は、ある悔しい思いが報われた作品だったからだそうです。
東京と名古屋で活動する鯉三郎さん。
西川流に入るまでずっと東京で活躍されてきたにも関わらず、東京で開催される西川流の舞踊会『鯉風会』で、ずっと「田舎くさい」「名古屋の踊りは見る気がしない」と言われていたそうです。
そんな時に東京の舞台に持っていったのが『山姥(やまんば)』。
今作は、上京する我が子・怪童丸と別れを告げる母・山姥の心情をこまやかに表現した、清元(※)の秘曲とも言うべき舞踊だそうです。
(※)清元=高い声と繊細な節回しが、哀切感や色気をかもしだす音楽。 男性の高音と三味線の澄んだ音色が色っぽく、恋の思いなどを、美しく切なく描きます。 その一方で粋で軽妙な作品もあるそうです。
『山姥』は優雅で情緒に富む作品ながら、踊る側からすると、かなりの難曲なんだそう。
それでも鯉三郎さんは、数々の非難の声に発奮し、稽古を重ね、ついには新橋演舞場の客席を連日満員にしてしまわれたそうです。
新作『白鳥は来たりぬ』
【3つの柱】の中に「古典」を大切にする、という柱があります。ですが・・
古典だけでは、1つ目の柱「踊りの大衆性」は適わない。常にお客様を驚かせ、喜んでもらえるような新鮮な体験ができる舞踊を届け続ける必要があります。
それが【新作】の役割。そして・・
どんな"古典作品"も初演時は新作。そこから長い時をかけ積み重ねられ、たくさんの人に愛され"古典"となっていきます。
(鯉三郎さんの跡を継いだ、三代目家元・西川右近さんも古典の継承と、新作を生み出すことのご苦労をご自身のブログの中で綴っていらっしゃいます。)
昭和26年の『第5回名古屋をどり』で、鯉三郎さんは『白鳥は来たりぬ』という舞踊劇を披露されています。本作は、大和楽の生みの親である大倉喜七郎さんの「西川さん、新作とは、新しく作る、と書くのですよ。人がやったようなものを、いくつかつないでいくようでは新作とは言えないでしょう」という言葉に刺激され生み出された作品だそうです。
この写真からも、洋風スタイルの舞台というのが伝わって来ます。
先ず鯉三郎さんは助言を受けた大倉喜七郎さんから、小説家であり、詩人でもある高見順さん(※1)に原作を、歌舞伎やオペラの演出を手掛けた岡倉士朗さん(※2)に、舞踊劇の演出を依頼してもらいます。
(※1)高見順=出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描き、第1回芥川賞候補となった『故旧忘れ得べき』で一躍注目を浴びた。詩人としても著名。その後も『如何なる星の下に』『いやな感じ』などで高い評価を受けた。詩人としても著名。日本近代文学館設立にも尽力し、初代理事長に就任。(Wikipediaより)
(※2)岡倉士朗=美術史家の岡倉天心の甥。1949年に木下順二が発表した『夕鶴』は5月にまずラジオドラマとして上演され、12月に「ぶどうの会」で初めて舞台上演がなされたが、そのいずれでも演出を担当。以後の上演でも岡倉が引き続き演出した。(Wikipediaより)
その他、劇場にはオーケストラボックスが作られ(斬新!)、三味線を中心とした大和楽団の演奏者が50人ほど入り、舞台装置には東郷青児さん(※3)の洋画が設置され、二時間を超える、洋風スペクタル劇だったそうです。
(※3)東郷青児=日本の洋画家。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡(Wikipediaより)
鯉三郎さんらが考えに考え新しい試みを取り入れた今作。
ところが、舞台が開いた途端の新聞評は散々なもので、各界からも非難の嵐。
「こんなものが踊りか」
「邪道だ、最低だ」
「日本舞踊を壊すものだ」
と、言う声があちこちから寄せられたそうです。
なのに劇場には、連日、割れ返るほどの人が詰めかけ、大入り状態。
鯉三郎さんは大いに戸惑ったと言います。
そして今作は『名古屋をどり』以降、東京、大阪でも上演されたそうですが、名古屋と同じ反響だったそうです。
鯉三郎さんはこの『白鳥は来たりぬ』という作品にとくに愛着を感じ、さらに練り上げ、もう一度舞台へ乗せたいというお気持ちがあったようです。
『彦市ばなし』
鯉三郎さんはこの『第5回名古屋をどり』で、もうひとつ、少人数で一幕ものの新作を発表します。
それは、劇作家・木下順二さんが書いた民話『彦市ばなし』をもとにした作品でした。
ただし木下さんは舞踊劇の歌詞を書かれたことがなかったため脚色者が加わり、西川流が舞踊劇で演じるこの清元栄寿郎さん作曲の『彦市ばなし』は、西川流のみで継承されている特別な作品となりました。
(初演では、鯉三郎さんが彦市を、ご子息の右近さんが天狗の子を演じました。)
ただ、おとぎ話がもとになっているとは言え、踊りで表現するとなるとどうなるのか‥。
『白鳥は来たりぬ』ほどではないにしても、当時としてはやはり異色作と捉えられたようです。
ですが、一般の人にも、もともとなじみ深かった『彦市ばなし』は、舞踊劇になっても親しみやすかったようで、その後も幾度となく上演され、"古典作品"として継承されています。
2005年開催「第58回名古屋をどり」の『彦市ばなし』のお稽古風景
西川右近さんが殿・周り、西川千雅さんが彦市、西川カークさんが天狗の子を演じた
今年2024年の『第77回名古屋をどり』でも、この二世・二代目 西川鯉三郎さんの思いを継承し、新作舞踊劇が届けられます。各SNSで報告されるお稽古の中の出演者様の表情はみなさんイキイキと輝いています✨名古屋の芸能のパワーがすべて集結する『名古屋をどり』!今からワクワクしています😍
参考文献・関連情報
■西川流家元_名古屋をどり(note))
■「鯉三郎百話」中日新聞本社発行
■西川右近Blog
■西川まさ子オフィシャルサイト-活動記録-