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其の肆. 推しが【日本舞踊】の番組を作りました。~名古屋西川流って?②

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本業の会社員と、推し活と命を懸けてるふつうの主婦です。ネットリテラシーは低めですが、インターネットの海に飛び込んだ十数年前から目の前の扉を1つずつ開けてくれるこの世界が大好きです。ここから、推しのあたたかい世界を届け続けていくのが、私の生涯を懸けた目標です。
 

さてさて今日は、【名古屋西川流二世・二代目家元 西川鯉三郎さんの歩みを紐解いてみたいと思います。様々なご苦労や葛藤を抱えつつ、名古屋西川流に新しい風を吹き込んだ方のようです。。😌💭

 

👘名古屋西川流二世家元・二代目 西川 鯉三郎


昭和16年に名古屋西川流二世・二代目 西川鯉三郎を襲名された尾上しげるさん。




その後順調満帆という訳ではなく、二世 鯉三郎さんの前には第二次世界大戦という大きな壁が立ちはだかります。

ですが、昭和20年8月15日に終戦を迎えるとすぐ、まだ焼け跡の生々しい中、人々のすさんだ心を慰めるため、鯉三郎さんを先頭に舞踊家たちが街頭で踊りを始めたというエピソードが残っています。

 

👘名古屋をどり


そして、これがきっかけとなり、「名古屋をどり」をスタート。

それがなんと第一回目の開催は昭和20年9月だったというから驚きです。


昭和30年代には20日間以上も公演を行うという一大イベントとなり、名古屋の秋の風物詩として親しまれていきました。



画像                         名古屋をどり開催中の御園座


また、西川流独自の「舞踊劇」が始まったのもこの「名古屋をどり」からだそうで‥

演劇性をもつだけではなく、ドラマとして、先入観なく楽しめ、感動をあたえる作品‥。
小さい世界に引きこもらず、あくまでも「観客」を意識する芸能を追究する姿勢は多くの人々の共感を呼んだそうです。

それは、二世 鯉三郎さんが多くの才能を持つ友人、仲間に恵まれたことも大きく、さまざまな分野の方と共同で多くの多彩な舞台を次々と生み出したことに因るもので、伝統的な舞踊だけでなく、川端康成や三島由紀夫といった著名な作家陣が脚本を手がけた「新作舞踊劇」が火付け役となったようです。


この「新作歌舞伎」の脚本の執筆は、他にも、有吉佐和子、高見順、木下順二、木下恵介、水木洋子、水上勉、東郷青児、団伊久磨と枚挙にいとまがなく、、


また新作舞踊劇の他にも、「長唄」は杵屋六左衛門、「清元」は清元栄次郎、「竹元」は野沢喜左衛門らが作曲を手掛け、多くの創作舞踊も生まれました。








そして、1972年9月に開催された「第25回名古屋をどり」には日替わりで鯉三郎さんと親交のあるゲストが出演。その豪華さには目を見張りました。

(※この時の様子を二世 鯉三郎さんの息子さん、三世家元・西川右近さんが綴られたブログがあり、そのブログをお嬢さんの西川陽子さんがXに投稿して下さったので掲載させていただきます🙇🏻‍♀️)



 


👘次世代へ


二世 鯉三郎さんの演劇味あふれる舞台、踊りに対する人一倍の情熱、人なつっこい性格もあって、名古屋西川流は中部圏だけではなく、次第に全国規模の流派になってゆきます。



画像                                                 稽古中の鯉三郎さんと子ども時代の右近さん




70余年に渡り、約3000曲もの作品を手掛け、西川流の世界を大きく広げた二世 鯉三郎さんは、昭和58年7月31日にその生涯を閉じました。


  
   ※③へ続く

📚参考文献・関連情報

西川流公式サイト
西川流 家元補佐・西川陽子公式サイト
■二世・西川鯉三郎Wikipedia
名古屋をどりWikipedia
西川流家元_名古屋をどり(note)
楽しさ満載!”名古屋をどり”の魅力(NHK名古屋のおすすめ)

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